長距離バスターミナルからローマ水道橋 に向かってアクエドゥクト通りを歩くと初めに出会うのがこのサン・ミジャン教会です。セゴビア で最も古い教会の一つとされています。 建築は10世紀から11世紀のカスティージャ・アラゴン王アルフォンソ1世(武人王と呼ばれスペインにあった異教徒排斥:レコンキスタ で有名な王)の時代とされています。その塔はムデハル様式でカトリック 征服前の時代も宗教上重要な建物でありました。教会の全体像は人体を模した十字になっており、古くから存在する教会としてユニークな存在です。建築スタイルは前ロマネスク様式。中世の豪華なゴシックスタイルの教会とは異なり、内部は素朴で質素なイメージです。しかし、その質素の中に古くから重要な教会であったことを感じさせる興味深い教会です.。
この聖体拝領教会は旧シナゴーグとしてセゴビアに残る唯一のユダヤ遺跡です。教会内はシナゴーグのスタイルを残したまま現在カトリック教会として利用されています。1412年、カトリック教会による接収を受けるまでセゴビアの最大のシナゴーグとして存在しました。14世紀のユダヤ人排斥の運動の中でカトリック教会の接収を受けますがそのスタイルは当時のユダヤ建築を残したままカトリック装飾を施したため、2つの文化の融合を今に見ることができるユニークな教会です。接収後に付け加えられたカトリックスタイルの祭壇。賛美歌を演奏するための場所。 馬蹄形アーチなど、ユダヤ教に見られない建築スタイルの融合はある種不思議な空間を演出します。この特異な文化融合はセゴビアならではの物と言えるかもしれません。
この聖体拝領教会は旧シナゴーグとしてセゴビアに残る唯一のユダヤ遺跡です。教会内はシナゴーグのスタイルを残したまま現在カトリック教会として利用されています。1412年、カトリック教会による接収を受けるまでセゴビアの最大のシナゴーグとして存在しました。14世紀のユダヤ人排斥の運動の中でカトリック教会の接収を受けますがそのスタイルは当時のユダヤ建築を残したままカトリック装飾を施したため、2つの文化の融合を今に見ることができるユニークな教会です。接収後に付け加えられたカトリックスタイルの祭壇。賛美歌を演奏するための場所。 馬蹄形アーチなど、ユダヤ教に見られない建築スタイルの融合はある種不思議な空間を演出します。この特異な文化融合はセゴビアならではの物と言えるかもしれません。
サン・ミゲル教会はマジョール広場に面してある教会です。
この教会が1474年12月14日にイザベル一世のカスティーリャ女王戴冠が行われた教会として有名です。元来はマジョール広場の中央に位置していた教会ですが、1532年、マジョール広場の拡張と地盤沈下のため、現在の場所に移転しました。現在はインファンタ・イザベル通りにあります。教会は名前の通り大天使ミカエルに奉献されています。
他にも聖ペテロ、聖パブロに奉献されています。そしてセゴビア改宗ユダヤ人として有名なアンドレス・ラグナの聖櫃もここにあり、見どころの多い教会です。
セゴビア旧市街から北東に少し離れたところにサン・ロレンソ地区 があります。サン・ロレンソはまさに村と呼んでよい特徴を備えています。独自のマジョール広場、お祭り、そして村の中心に教会があります。市内の地区としてサン・ロレンソは現代に遺っています。ムデハル様式とロマネスク様式で出来て、11世紀から12世紀ごろの建設と言われています。1931年スペインの国宝指定を受け現在に至ります。教会内には美しい三つ折り祭壇画が保存されています。また格子天井のスタイルも独特で特にユニークな教会といえます。 エレスマ川の辺りに位置するサン・ロレンソ。市街地から散歩がてら寄るのに最適な村です。
セゴビア旧市街から北東に少し離れたところにサン・ロレンソ地区 があります。サン・ロレンソはまさに村と呼んでよい特徴を備えています。独自のマジョール広場、お祭り、そして村の中心に教会があります。市内の地区としてサン・ロレンソは現代に遺っています。ムデハル様式とロマネスク様式で出来て、11世紀から12世紀ごろの建設と言われています。1931年スペインの国宝指定を受け現在に至ります。教会内には美しい三つ折り祭壇画が保存されています。また格子天井のスタイルも独特で特にユニークな教会といえます。 エレスマ川の辺りに位置するサン・ロレンソ。市街地から散歩がてら寄るのに最適な村です。
サンタ・クルス・リアル修道院:現IE大学キャンパス サンタ・クルス・リアル修道院はエレスマ川の辺りにあります。セゴビア初のドミニコ会の修道院です。1218年、聖ドミンゴ・グスマンがセゴビアに着いた時、彼に寄贈された家が由来です。聖ドミンゴはその場所にあった洞窟で苦行を行いました。13世紀半ば修道院が改装され聖ドミンゴが苦行を行った洞窟が再発掘されました。カトリック両王の援助により今のゴシック様式の建築になり、洞窟は聖ドミンゴの象徴として遺されました。アビラの聖テレサや聖十字架のヨハネも訪れ啓示を受けた場所としてカトリックの神秘的な洞窟として今も有名です。 現在はIE大学のキャンパスとして使われています。
この修道院は、エンリケ4世によって、1447年に建設されるように命じられましたが、伝説では、その創設は有効なフアンデパチェコ、マルケスデビリェナに起因するとされていますが、ゴシック、ムデハル、プラテレスケなどのさまざまな回廊に分散した建物の複合体です。
1836年の没収後に放棄され、略奪されたその再建は、1914年に国定記念物として宣言され、1927年にジェロニマ教団の宗教によって再び占領された後に行われました。
未完成の修道院教会のファサードには、パチェコの紋章とプラテレスケの紋章が飾られた優雅な塔が際立っています。これはセゴビアンのフアンカンペロの作品です。身廊、足元のトリビューン、サイドチャペル、多角形の頭を備えたその内部は、ジェロニマ建築のモデルに従い、建築家フアングアスの作品でした。
この修道院は、エンリケ4世によって、1447年に建設されるように命じられましたが、伝説では、その創設は有効なフアンデパチェコ、マルケスデビリェナに起因するとされていますが、ゴシック、ムデハル、プラテレスケなどのさまざまな回廊に分散した建物の複合体です。
1836年の没収後に放棄され、略奪されたその再建は、1914年に国定記念物として宣言され、1927年にジェロニマ教団の宗教によって再び占領された後に行われました。
未完成の修道院教会のファサードには、パチェコの紋章とプラテレスケの紋章が飾られた優雅な塔が際立っています。これはセゴビアンのフアンカンペロの作品です。身廊、足元のトリビューン、サイドチャペル、多角形の頭を備えたその内部は、ジェロニマ建築のモデルに従い、建築家フアングアスの作品でした。
セゴビアの北の外れに位置し、アルカサル城から東にその姿を見下ろす事ができます。セゴビアの村サマラマラ村の入口に当たります。教会は聖櫃教会派に属し,現在はマルタ騎士団 の管理となっています。中世、テンプル騎士団の居所として有名です。その建築も非常に特徴的でロマネスク建築スタイルの素朴で飾り気のない教会です。他のロマネスク様式の教会とは一線を画する興味深い歴史遺跡です。12角形を基本に3つの後世付け足されたアプシデ(礼拝所)、そして中央に螺旋階段を伴う塔、その最上階には円卓があります。これは通常の教会とは異なった建築スタイルでテンプル騎士団の居所としての性格を色濃く表したものです。この教会を礼拝するためだけに訪れる観光客もおおく、マルタ騎士団の祝日には近隣諸国から多くの人が集まります。聖墳墓教会派に属する教会はヨーロッパには3つ現存しその中で最も保存状態の良い教会としてセゴビアを有名にしています。
聖十字架のヨハネはカトリック神秘家で1726年に列聖。アビラのテレサと共に跣足カルメル会(改革カルメル会)の創設者となった人です。彼の設立した修道院がセゴビアに遺っています。聖十字架のヨハネ修道院はフエンシスラ修道院、ベラ・クルス教会など街の北端に位置します。修道院内には聖十字架のヨハネの聖墓が祀られています。また聖十字架のヨハネが植樹した糸杉が現在も修道院内に遺っています。
このカトリック神秘家の遺した修道院に毎年多くの人が訪れます。
聖十字架のヨハネはカトリック神秘家で1726年に列聖。アビラのテレサと共に跣足カルメル会(改革カルメル会)の創設者となった人です。彼の設立した修道院がセゴビアに遺っています。聖十字架のヨハネ修道院はフエンシスラ修道院、ベラ・クルス教会など街の北端に位置します。修道院内には聖十字架のヨハネの聖墓が祀られています。また聖十字架のヨハネが植樹した糸杉が現在も修道院内に遺っています。
このカトリック神秘家の遺した修道院に毎年多くの人が訪れます。
街の最北端に位置するフエンシスラ教会。実名:我々の聖母フエンシスラの聖域(Santuario de Nuestra Señora de la Fuencisla)といいます。緑の多い地域で市民の憩いの場として親しまれています。建物は1598年及び1613年、フランシスコ・デ・モラにより建てられました。いくつかの改装を重ね現在の姿になりました。装飾祭壇はバロック調でペドロ・デ・ラ・トレの作品。 聖母フエンシスラは街の守護聖人として崇め、親しまれています。毎年9月の最終週の日曜日はフエンシスラの日としてお祭りがあります。 セゴビアの守護聖人フエンシスラ。
Plaza Azoguejo, 1, 40001 Segovia, Spain
月~金 10:00-14:00 / 16:00-18:00
info-jp@turismodesegovia.com