ローマ水道橋:アクエドゥクト

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イントロ

セゴビアを世界的に有名にするローマ水道橋:アクエドゥクト。2000年の時を超え、街のシンボルとして人々に愛されてきました。この現代に残る奇跡の建造物は世界中から沢山の人々に賞賛されてきました。中世の頃から王令により国宝とされて、現代1985年UNESCOにより人類の文化遺産として指定されました。花崗岩のブロックを積み上げただけで建設された高さ24メートル、長さ13キロメートにも及ぶローマ水道橋:アクエドゥクトは現代に残る奇跡といえます。現在残るローマ時代の遺跡として最も保存状態の良いものの一つとして数えられます。現代まで水路としてその機能性は失われることなく20世紀に入っても実際に使用されていました。

背景

ローマ帝国がイベリア半島を属国化していったのは紀元前200年から西暦400年頃とされています。セゴビアはローマ帝国にとってサラゴサとメリダへのルートの中間に位置する重要な都市でありました。セゴビアにローマ帝国がやってきた時にはすでに先住民により水資源の殆どが占拠されていました。ローマ帝国にとって水資源の確保が一番の課題でありました。 アクエドゥクトの建設は幾つもの意味があったようです。 一つは水資源の確保。そしてこの水道橋を建設することでその水の独占と既得権益。もう一つの目的は水道橋を軸にした街の建設と支配。この偉大な建設を人々に見せつけることは帝国にとって非常に大きな政治的な意味がありました。こうしてローマ水道橋:アクエドゥクトは紀元前1世紀ごろに建設が始まりました。水道橋建設は、先住民とローマ社会の融合という文脈の中で理解しなければなりません。こうして先住民は徐々にローマ化していったようです。ラテン語を読み書きしローマ風の習慣に慣れていきました。 水道橋の上方は貴族たちの屋敷で独占され街には少数の共同配水所がありました。建設の一番の目的は、山脈から都市へ水を引くことでしたが、それと同時に政治的プロパガンダの役割も担っていました。その証拠はアソゲホ広場の石碑に見ることが出来ます。当時アクエドゥクトの建設に資金提供した都市中央と周辺地域の政治家、著名人たちの署名を見ることが出来ます。 王立造幣局博物館に併設されたローマ水道橋説明センターでは、実際の建設の様子や各歴史遺物を豊富なパネルとマルチメディアで体験的に見ることが出来ます。

環境・歴史

花崗岩のブロックを積み上げるだけ、一切接着溶剤などを使わずに建設されました。 花崗岩はグアダラマ山脈や他の複数の場所から切り出され運ばれました。 アソゲホ広場にある二つのアーチの間に、当時のローマ皇帝と地方行政官の名前がこの遺跡の責任者として刻まれているのを見ることが出来ます。 その建築スタイルと考古学収集品(これらの遺物はセゴビア美術館で見ることが出来ます。)などから考察された最終的な建設年度は、紀元後1年の終わりから後2年はじめと言われていましたが、最新の研究では112年であるとの説が有力です。

中世何度か修繕作業と修飾作業が行われています。カトリック王たちによる古い水路の入れ替えと花崗岩ブロックの入れ替えがこれに当たります。これらの痕跡を現在も見ることが出来ます。 アソゲホ広場の石柱とアーチの遺跡はローマ建設の最も偉大で素晴らしい歴史建築の一つであると1884年10月11日、王により宣言されました。

どのように建てられたのか?

建設に際しローマ人たちは、アーチ作るための木型を支える頑丈な足場を使いました。木型はアーチの両脇の迫石、アーチ中央の石(要石)をはめ込むためにアーチの内側に設置されました。また、アーチの両側にかかる荷重のバランスを取るために中央の要石は正確なくさび形に型どらなければなりませんでした。 今でも見ることのできる花崗岩ブロックに開けられた2つの穴は、大型の金属製ハサミで持ち上げるため必要なものでした。このコンパス状の金属ハサミは釣り上げると石を挟み込み、石自体の荷重でしめつけ合い、決して外れないような工夫がされていました。 足場では他の職人グループが花崗岩ブロックの正しい位置の調整を金テコを使って行いました。最後に石工が石の各表面を切り出し、正しい形にして完成させました。 この遺跡建造には“調整技術”、“ブロックに見られる窪み”、“積彫石”などにローマ建設特有の特徴が見られます。 調整技術:花崗岩ブロックの上部と内部の角に見られる切り込み痕は最終的な位置に正確に石を積み上げるために鉄テコを差し込んだ際にできたものです。 ブロックに見られる窪み :柱を構成する最後の花崗岩ブロックには垂直の波上の傷跡が見られます。 積彫石 :花崗岩ブロックは交互に垂直に積み上げられています。 水道橋の花崗岩ブロックは下部の方が広くなっていて、高さを増すほど少しづつ小さくなっています。この構造により水道橋は自らの重みを支えることが出来ます。 花崗岩ブロックは交互に垂直に積み上げられています(整層積み=オプス・クアドラトゥム)。モルタル、セメント、鉛などの接着溶剤を使用しておらず、花崗岩ブロックの加重で構造されています。

機能

セゴビア水道橋は、歴史的に3つのパートに分かれています。

  • 郊外地区:水源と水を導き入れる場所-水源であるフリオ川と水道橋の開始地区
  • 近郊地区:導水ー水源から街へ水を率いれる地区
  • 都市地区:導水と配水ー街まで運んだ水を各家々に配水する地区ー現在歴史的建造物として見られる水道橋、地中の水路

給水はアセベダ渓谷のフリオ川の堰をとおして行われます。水は様々な場所を通り、傾斜を利用しセゴビアの街に届きます。街から見られる橋のアーチを流れる前に、水は2つの除砂場を通ります。砂や葉などの不純物が除去される仕組みになっています。旧市街内城壁を巡る水路はこのポスティゴ・デ・コンスエロ(現在の水道橋脇の階段の最上部広場)から始まり、洗練された分配システムにより、街の給水所や各重要な屋敷内の給水タンクに届きます。最後の区間は地中に隠された水路により、アルカサル城内に到達し、水の長い旅は終わります。この全行程をとセゴビアの人々は“水の母”と呼んでいました。

データ

  • 全長:16220m(堰から城門まで)
    • 堰から最初の除砂場までの区間:13393m
    • 2番目と3番目の除砂場の区間:794m
    • サン・ガブリエル除砂場からアベンダーニョ広場の区間:776m
    • 地中の水路-ガンダセキ主教通りから城門まで:1220m
  • 水勾配:0.3%(橋)~5.53%
  • 水路の大きさ:25×30×30cm
  • 最大水量:毎秒20~30リットル
  • 最高位:28,10m
  • 支柱の数:120
  • アーチの数:167個
  • アーチの内径:4,50m
  • 岩の数:20400個
  • 岩のおおよその体積:7500㎥

雑学

  • アクエドゥクトの名前の由来はラテン語:アクア(水)+コンドゥクト(導引)の造語です。
  • アクエドゥクトは様々な時と場所で言及されていますが一番古い記録はセゴビア大聖堂に残る帳簿にその名が見られます。
  • 最初に芸術的に引用された記録として賢王として知られるアルフォンソ1世のカンティガ(カソリックの宗教的モノフォニック音楽に詩と挿絵をつけたもの)の中に見られます。

伝説

その信じられない建設の偉大さに、アクエドゥクトは悪魔が作ったという伝説が残っています。セゴビアの残る言い伝えによると、水道橋を作った“母”はローマ人ではありません。水道橋は人心の「怠惰」から生まれたとされています。 こんな伝説がセゴビアには残っています

昔々あるところに水運びとして働く少女がいました。川から街まで水のたっぷりはいった重たい水瓶を、毎日毎日運ぶのです。ある日少女はついに街の急勾配の坂道に耐えきれなくなり、力いっぱい叫びました。「もういやっ!川から街まで水路があったらいいのに!!」その熱烈な想いは悪魔を呼びました。どこからともなく現れた悪魔は少女に言います。「それなら私が手伝ってやろう。」「川から街までの水道橋を作ってやろう。でもその代わりお前は私とある契約をしなければならない。」悪魔は「明日の朝、日が昇り、一番鶏が啼く前に、家の門まで水を引くことができたら、お前の魂を頂く」と 少女に言いました。水運びの仕事にうんざりしていた少女は悪魔と契約をしてしまいます。 後に少女は自分のしたことの過ちを気付き、魂を失わないように熱心に祈り続けました。祈りは天に届き、街に嵐が来て、暴風雨が悪魔の仕事を邪魔します。しかし悪魔は猛然と水道橋の建設を続けます。「コッケコッコー!」突然、鶏が鳴き、街に朝日が差し込みます。「ギャァァァッッッ!!!!」悪魔は身の毛もよだつ叫び声をあげました。悪魔の仕事は失敗したのです!あとひとつの岩を置いたら水道橋が完成し、少女の魂は失われるところでした。少女は怠惰の過ちをセゴビアの人々に懺悔、告白しました。街の人々は少女の懺悔を受け入れ、水道橋に残る悪魔の痕跡、硫黄の臭いを消すため聖水を水道橋にまきました。浄めの儀式は済み、そして街のこの新しい建造物を幸運として受け入れました。 今でも水道橋に見られる多くの引っかき傷の痕は悪魔の爪によるものだと言われています、、、。

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